附:观梅咏诗见功夫
又到了冬春观季节,各种咏梅诗词又火了起来。每年这个时候,我也难免手痒,捉笔来上两句。
多年前,我曾翻译过一篇日本文人大町桂月写的《水户观梅》,第一自然段落就有这么几句:“如果将度日的快速比作四季,那么观赏‘暗香浮动月黄昏’的情趣,观赏‘月明林下美人来’的情趣,这样的心情连花神也应理解。”当时我也没在意,加上古诗词基本功差,竟然未意识到这两句是咱老祖宗留下的佳句。
原来,前一句为宋诗人林逋(967一1028)所作,据说他是杭州钱江人,自幼好学,通读百家。后隐居杭州西湖,结庐孤山。尝驾小舟遍访诸寺庙,与高僧诗友来往。他还有一个雅兴,那便是养鹤。每有客来,便让童子放鹤,其远远望见鹤飞起,便棹舟归来。该诗前半首如下:
众芳摇落独暄妍,占尽风情向小园。
疏影横斜水清浅,暗香浮动月黄昏。
霜禽欲下先偷眼,粉蝶如知合断魂。
幸有微吟可相狎,不须檀板共金樽。
后一句“暗香浮动月黄昏”出自明高启《梅花》,全诗如下:
琼姿只合在瑶台,谁向江南处处栽?
雪满山中高士卧,月明林下美人来。
寒依疏影萧萧竹,春掩残香漠漠苔。
自去何郎无好咏,东风愁寂几回开。
高启(1336-1374)汉族,江苏苏州人,元末明初著名诗人,与杨基、张羽、徐贲被誉为“吴中四杰”,当时论者把他们比作“明初四杰”,又与王行等号“北郭十友”。官至擢户部右侍郎,后因触怒皇帝与张士诚一起被腰斩。著有《高太史大全集》、《凫藻集》等。
水户观梅
大町桂月
翻译:王志镐
与四人车票的红色相对照,红梅的花瓣不止一片在渐渐洒落。然而,为了避开星期日的半价旅游列车,我们提前到星期六,日头西挂,催人启程,观赏“暗香浮动月黄昏”的情趣,观赏“月明林下美人来”的情趣,这样的心情连花神也应理解。一路上三人为伴,一曰临风,二曰天随,三曰蝶二。
四人の切符の赤きを合はせて、紅梅の花に一片足らずと洒落れたる次第にあらず。されど、日曜の回遊列車の半額なるをさけて、土曜にくりあげ、日がへりの急がしきにならはで、『暗香浮動月黄昏』の趣を賞し、『月明林下美人來』の趣をも賞せむとする心根は、花神も汲まるべくや。路づれは三人、臨風となし、天隨となし、蝶二となす。
竹林外小桥畔,残雪全无。清香一路伴随而行,水户的花信颇为著名,但因早班车已过,颇感遗憾。在无风情可言的停车场上,不得不等待火车的到来,单线铁路的不便,使我们焦急万分。理应在刚过十一点钟到达水户的火车,迟了一个小时左右,过了十二点才到。虽然我们商量下了火车先去吃午饭,然而下了车一看,未见梅花,食欲全无。首先、第一的目标是去公园,于是跳上车飞驰而去。
竹外橋畔、殘んの雪にはあらず。清香までおくり來たるに、水戸の花信もそれと知られ、汽車の進行の早きを憾みしが、何の風情もなき停車場に、來る汽車を待ち合はさざるを得ざる單線の不便さ、じれつたさ。水戸に十一時過ぎに着くべき筈のものが、一時間ばかり遲れて、十二時過ぎに着きたり。汽車を下らば、先づ午食をなど話しあひしが、さて汽車を下りて見れば、未だ花を見ざる中は、食する氣にもならず。先づ、第一公園へとて、車を飛ばす。
走到城市的尽头,麦苗开始发芽的那一带,白花花的一片,是花,还是云?正想问,不一会车早已到了梅林之中。极目望去,不知有几千棵。面对这盛开的花儿,感到十分高兴,向车夫打听了一下,说是不用快走,徐徐而行,其乐无穷。于是在好文亭旁下了车,步行到乐寿楼,上了三层楼。千波湖已在脚下。瞭望甚远,景色极佳。
上市を行き盡して、萠えそめたる麥生かなたに一帶白くたなびけるは、花か雲かと云ひたきをなど考ふる間もなく、車は早くも梅林の中に入りぬ。極目その幾千株なるを知らず。而してその滿開なるもうれしく、車夫氣をきかして、走ることをやめて、徐行せしもうれしかりき。好文亭畔に車を下りて、歩して樂壽樓に至り、その三層樓に上る。千波湖、脚下にあり。矚望甚だ佳なり。
到了仙奕台,那里放着应该是代替座椅的石头围棋盘、象棋盘,反倒显得俗气。下到了仙湖碑的山崖底下,那一带梅花甚多。沐浴在清香之中,在梅花中穿行,直奔常磐祠下的料理屋,浅酌之后吃午饭。在面朝湖的三层台阶上,不厌其烦地瞭望一番之后,心仪第二公园的梅花,这才步履蹒跚地带醉离开。
仙奕臺とて、腰かけに代ふべき石の碁盤と將棋盤とを置きたるは、反つて俗意あり。仙湖碑畔の崖を下れば、崖下一帶に梅多し。人は清香を浴びつゝその間を縫ひて、常磐祠下の料理屋に投じ、淺酌して午食す。湖に面したる三階の上の、厭かぬ眺めはあれど、第二公園の梅に心ひかれて、醉歩蹣跚として去る。
在城市的北端,旧城址的一偶,梅花一如过去那样香气浓郁。这里成了第二公园。第一公园有三万坪,而这里只有一万七千多坪。而且说到像第一公园那样的景点,这里有梅花丛中的弘道馆遗迹,孔子庙,鹿岛祠,警钟楼,成为潇洒的休闲之地。
上市の北端、舊城址の一隅、梅はなほ昔ながらの香に匂へり。これを第二公園となす。第一公園は三萬坪あり。こゝは一萬七千坪に過ぎず。且つ第一公園のごとき眺望はなけれど、なほ梅花堆裡に弘道館の跡あり、孔子廟あり、鹿島祠あり、警鐘の樓あり、蕭散なる閑地なり。
关于梅花观赏地,并不是到此就结束了。虽不能与东京附近的诸多梅园相比,我还是要将其与篱外溪畔,疏影暗香的景观吉野村、梅园村等地方的梅花比较。
是に於て、梅花の觀は終りぬ。東京の附近の諸梅園の比にはあらざれども、余は、籬外溪畔、疎影暗香の觀ある吉野村、梅園村などの梅を取らむか。
看完梅花后,日犹高照。临风建议以旧游之梦留名以示纪念,我说与其在这里,还不如在土浦住一宿,如果下那珂河,到大洗住一宿,那么旅行的话题变得多起来,应该十分有趣,这时崖下的汽笛频频响起招呼客人。于是乘坐该船,开始航行,没有乘通往湊镇的小蒸汽船。行程凡三里,河面上变得春水融融,水平如镜。两岸都是麦田,茂密的树木首尾连接,中间点缀着一间间茅屋。柴门外扣着雁木,将纤手浸入水中的少女,在洗积攒着光泽的芹菜。堤岸上与舟同行的行人,不知不觉被落在后面,最终渐渐变小了,消失在霞光中。那珂河的通海处,使女波男波的雪水分崩离析,在河流争斗处,长桥俯视着水面,将湊镇和祝镇连接起来。在这里弃船上了祝镇。在此离开凑镇,进入另一地区,酒楼,娼楼,一幢幢巍巍屹立在海边。在砂地走了半里左右,到达大洗的时候,日近黄昏,金波投向楼房。
梅花の觀終りて、日猶ほ高し。臨風は舊遊の夢の名殘やしのばれけむ、これより土浦にもどりて一宿せむと言ひ出でたれど、余は那珂川を下りて大洗に一宿する方が、紀行の種も多くなりて面白かるべしと云ふ程に、崖下の汽笛頻に客を呼ぶ。さらばあの舟にとて、走りゆきて、湊町通ひの小蒸氣にのりぬ。行程凡そ三里、春水溶々として平らかなり。兩岸は麥ばたけ、こんもりしたる木立など相接し、その間にをり/\茅屋を點す。柴門の外の雁木にうつぶきて、水に纎手をひたせる少女は、澤につみたる根芹洗ふにやあらむ。堤上に舟と竝行せし行人、いつしか後になりて、はては寸大となりて霞の中に消ゆるもをかし。那珂川の海に朝する處、女波男波の雪をくづして川流とたゝかふ處、長橋波に俯して、湊町と祝町とを連絡す。こゝにて舟をすてて、祝町に上る。こゝは湊町をはなれて、別に一郭をなし、酒樓、娼樓、屹として海邊に立ちならべり。半里ばかり砂地を歩みて、大洗につきたる頃は、日はたそがれに近かりき。金波樓に投ず。
我们决定在矶前祠下面,直接俯视海浪的三层阶梯上眺望大海,虽然充满情趣,但暮色降临在太平洋上,已无通往渡口的道路。海面的黑暗中不见渔火,凄凉的夜风如恶魔般地袭击过来,吹在脸上,心清变得不太好。三年前那一见如故的风光,被关在窗外置之不理。洗了个澡起来,电灯的光明,邻座情人的低声细语,显得十分寂静。天随,蝶二,两位都是酒场好手。今夜扬言在此通宵饮酒。由于膳食上得迟而举起酒杯,谁都一口干了,扔了酒杯,苦苦皱着眉头。酒喝醉了,就不应该喝了。无论怎样吟唱古诗“薄酒优二茶汤一”,最终也应该有忍耐的本事。哪怕是听听此地的海滨小调也好,校书留名,只因为这两人而未去叫。虽然有着都市的纯洁,如果琵琶女不涂脂抹粉的话,自己就不是江州的司马了。从附近的海滨步行到祝镇只是极短的距离,应该很容易得到酒,而旅店伙计哼着小调怎么也不让卖,于是决定一起到祝镇去,重新喝一通。推窗看看天气如何,非常吓人,黑暗的天空不时降下纷纷白雪。踏着雪发出轻微的声音,想叫车刚开口,叫了四辆都不去。一旦为了赏雪,我们提着旅店的提灯,不顾摔跤,冲向黑暗,冲向大雪,徒步而行。四位少将,眷恋着风雪夜的小镇深处,仗着酒劲,恍惚中千里只当一里、半里的路程,眨眼就到了。到祝镇时,已是夜里十点了,买了酒很快喝醉了,暖暖地做了一夜好梦。因宿醉而抬起沉重的脑袋,靠在栏杆上,海上的旭日,已及三竿了。强站起来,还要喝酒。都市长大的女子,将我们送到水边码头,什么也做不了了,萎靡不振,由于有回都市去的人,应该习惯于故乡怀恋吧。从昨日的水路逆流而上,在梯子那里喝酒的蝶二,在船中独饮独醉,独自回复元气,独自返回。从天随的长吁短叹来看,欢乐之后哀情多。如果说留名的事泡汤了,我们也就不从水户乘火车回来了。铁道附近第一公园的梅花依依不舍地送来清香,吸引着后脑勺,心里却不想再看一眼。
(明治四十四年)
磯前祠の下、直ちに海波に俯せる三階の上の、眺望定めておもしろかるべけれど、暮色既に太平洋上にみち渡りぬ。沖のくらきに漁火も見えず、惡魔の襲ひ來るばかりに凄き暗風、面を吹いて、氣持よからざるに、三年前に一見のなじみありし風光を、雨戸の外に閑却して、一浴し來れば、洋燈の光明に、隣席のつれこみのさゝめごと、しめやかなり。天隨、蝶二、いづれも酒場の剛の者なり。今宵一夜はこゝに飮みあかさむといきまきて、膳の來たるをおそしと盃とりあげしに、いづれも一と口にして杯を投じて苦顰す。酒惡しくして飮むべからざるなり。如何に『薄々酒優二茶湯一』の古詩を吟ずるも、遂に忍ぶ能はず。せめて處柄の磯節を聞かむとて、校書二人ばかり呼びぬ。都のうぶらしけれど、琵琶の女になずらふべくもあらねば、われらもまた江州の司馬にもあらず。程近き磯濱か、祝町かに一寸走りゆけば、たやすく得らるべき酒を、宿の者ぶしやうして買ひ來らむともせざるに、一同祝町に赴きて飮み直さむと一決す。天氣は如何にと窓を、物すごく、暗き空に時ならぬ白雪紛々として降り來れり。この雪にと弱音を叶くものありて、車をと言ひ出だしたれど、四臺まではそろはず。さらばいざ雪見にころぶ處までと、宿の提燈かりて、闇を衝き雪を衝きて徒歩す。四位の少將は、斯かる夜にも小町のもとにこれは戀ゆゑ、われは酒ゆゑ、ほれて通へば千里も一里、半里の路またゝく間に行きつくして、祝町につけば、夜すでに十時、快く醉ひを買ひて一夜の夢あたゝかに、宿醉に重き頭をもたげて欄によれば、海上の旭日、既に三竿に及べり。また飮み直して立ち出づ。都生れの女、水頭に送り來りて何となく打萎れたるは、都にかへる人あるにつけて、慣れし故郷のこひしきなるべし。昨日の水路をさかのぼる。梯子飮みの蝶二、獨り舟中にて飮み、獨り醉ひて獨り元氣なるにひきかへ、天隨悄然として溜息をもらせるは、歡樂きはまりて哀情多きにや。名殘は盡きざれど、水戸より汽車に乘りてかへりぬ。鐵道の近き第一公園の梅依々として清香を送るに、後髮引かるゝ心地のみせられぬ。
(明治四十四年)