梦
我已疲惫不堪。
肩部和脖颈的僵硬自是一份苦楚,失眠亦将我蚕食殆尽。不仅如此,待我有欲入眠时,总会有千奇百怪的梦闯入脑中。有人曾言:“有所斑斓的梦便是精气削损之证。” 或许因梦中的我是名画家之故,色彩同我是如影随形的。
——我同一名友人一起进到郊外一家似是咖啡馆的玻璃门内,抬眼观去,正好瞧见在满覆灰尘的窗外,一趟火车碾过了柳枝新探的嫩芽。我二人坐在角落的桌上,吃着碗中的食物,吃罢再看,残留于碗底的是一颗寸长有余的蛇头。——这样的梦也是色彩鲜艳明清。
正是严寒时节,我所居住的公寓处在东京的某处郊外。在此我若自感忧郁,便会绕到公寓后边登上堤坝,俯望国铁的电车车道。躺在砾石上散发着点点光彩的数批铁轨、长在对过堤坝上,似是米储的树木倾斜着探出它的枝条——这光景虽说凄凉之至,与我却是无关痛痒的。
“以毒攻毒……”我独自一人蹲在堤坝上,叼起一根烟,不时的思忖等这等事情。
我也并非没有朋友,他是个年轻富豪的儿子手下的油画家。见我没什么精神,他便劝我出趟门玩玩。“钱什么的总能解决的。”他亲切的如此对我说道。但即使出门远旅,我也比谁都深知我的抑郁是不会因此而有所缓解的。
三四年前,我也曾深陷这般抑郁中,一度为了消解闷愁而去了一趟遥远的长崎。可到长崎转了转,却连一家合心意的旅店都找不着。后来好容易找到能暂住的店子,晚上竟还有数只灯蛾盘舞乱神。我在极度的煎熬中挣扎了不足一星期,便再踏上了返京之路。
在某个仍残有霜柱的午后,我去取过汇款后倏然感到了一股勃发的创作欲望。因为手头有钱而可以雇模特——这必然是其由之一,但也不全然因此,另有什么也在挑逗着这股欲望的高涨。我并未直接回公寓,而是去了一趟叫“M”的人家中,我准备找他雇个模特,以画一副十人左右的人物图。作画的决心翻扬着我的忧郁,久违的为我注入了一丝生气。
“只要能完成这副画,便死也无憾。”——我确实是这么想的。
M给我送来的模特样貌并不大标志,但能肯定她的身材——特别是胸部确是丰满傲然,梳成背头的毛发也十足浓密茂盛。我很满意,让她坐在椅子上调整好姿势后赶忙开始动笔工作。
赤裸的女郎翘着二郎腿,脖颈微倾,手捧一份卷起的英文报纸以充花束。可我一转向画架,便猛地新觉一阵疲劳。这所向北的房中仅有一个火钵,我自是在其中点起了足要蔓延至盆外的烈烈炭火,但房间仍不大暖和,她坐在藤椅上,双腿时不时的迎寒颤抖。
我描动着笔刷,每番添笔都自觉一股焦虑爬上心头。这与其说是对她不安分颤动的不满,不如说是对一个连暖炉都买不起的自我苛责,同时也是对连这种事也要费神分心的我自身的不快。
“你家在哪?”
“我家吗?我家在谷中三崎町。”
“一个人住吗?”
“不是,是和我朋友两个人一起租的。”
我一面同她一言一语问答着,一面往已画好静物像的旧画布上添上颜料。她歪着头,全然没有任何可言为表情的情感浮现,她的语言也如她开口说的一般单调乏味,连声音也是极生硬刻板的。我只当这是她生来即如此的性格。稍微放开些后,我也会时不时的让她在休息时也继续保持模特的姿势。但从她连眼珠都未曾动过分毫的身姿中,我自也感到过某些诡妙的压迫力。
创作并不顺利。
结束一天工作后,我多半都会倒在地毯上,按揉着脖颈和脑袋,出神的仰观我的屋子。这房间里除画架外便只剩一把藤椅,藤椅因空气湿度的情况,就是没人坐着也会时不时的发出藤蔓挤压互紧的吱吱声。一听到这声响我便有些胆寒发竖,遂会赶紧的离开屋子出门去散步。我这虽说是散步,可也不过是顺着公寓后边的堤坝往建有许多寺庙的乡镇逛一通罢了。
我并未偷闲,仍每天都会面对着画架,模特也每天都会过来。但渐渐的,我在她的酮体前感到了比先前更为猛烈的压迫感,不过其中也定还有我对她健康身体的一分慕意。女郎横卧在单薄的红色地毯上,脸上依然不挂有任何表情,只单单的将视线投向房间一角。
“她不像人类,倒像个动物。”我在画布上描动着笔刷,不住的替她印上我的标签。
在某个和风暖人的午后,我照常面向画架,专心的描动着笔刷。女郎今天似乎要比平时脸色更静,更沉默寡言。我愈愈从她身体中感到了一股野蛮的气力,还嗅到了自她腋下飘来的某种气味,那味道有些像黑色人种皮肤上散发出的臭气。
“你是哪出生的?”
“群马县XX镇。”
“XX镇?那是个纺织场很多的小镇呢。”
“是的。”
“你织过布吗?”
“小时候有织过。”
和她说话之间我竟注意到她的乳头在不知觉间膨胀了起来,肿如卷心菜将绽开一般大小。我自是不动声色的疏于浊世同平常一般一心补充着画面,但对于她的乳头——还有那令人惊骇的曼妙光景,我只得不由自主的游离视线,分出一块心神去作享这欲望。
夜里风仍未止。
我突然的睁开双目,想去一趟公寓的厕所,迷迷糊糊起身走了一程,甩醒脑袋再细细察看四周,虽然拉门确是开着的,但我似乎是一直在房间里打转,并未出去过。我不由得停下脚步,晃神的将目光落向房间——准确的说是铺在我脚下的红色地毯上。光着脚轻轻蹭擦地毯,传回的触感格外像在与动物毛皮接合。
“这地毯背面是什么颜色呢?”——这种事我竟也有所好奇,可有种不可名状的恐怖萦绕在我的心头,使我怯于去翻开它一探究竟。去过厕所回来,我赶忙爬上了床。
次日结束工作后,我比往日更感精疲力竭,可呆在房间里却无法让我得以安歇。因而我便登上了公寓后方的堤坝,放眼望去,四下暮色欲袭。虽然木柱和电线杆潜藏于昏暗之内,未亮起足可观瞧的灯火,可我却难以置信的能清晰看见它们就矗立在那儿。我顺着堤坝前行,不自觉的感到一股想要大声嚎叫的冲动,但我必须得遏制住这由心的诱惑付诸现实。我只剩一颗头了吗?我感觉不到我的躯体,只仍沿着堤坝,下行到了一处破陋的乡镇。
这座乡镇依旧看不见几分热闹。倒是在路旁竖起的电线杆上拴着一头朝鲜牛,这牛伸长着脖子,诡妙的张着雌种性饱含晶莹湿润的双目一直注视着我,总像是特地等待着我到来般。我从这头牛的神情中感到了一种平静却暗藏战火的怒意。
“它面对屠夫时也定是这副模样。”——不过一头牛带出的气场竟也使我惶惑,我愈发感到烦闷,遂不再往前,转身入了一条巷道。
过了三两天后的一个下午,我仍坐在画架前专心致志的画动着笔刷,横卧在单薄地毯上的女郎依旧静如止水,连眉毛都不动分毫。我在这近半个月里一直面对着模特的裸身进行着不顺利的创作,但我们的心并未因此而变得相亲无外——不,应该说我只从她身上感到威压益甚。女郎在休息时也一件衬衣都不会穿,她对我的回应也总带有倦怠感。但昨天不知为何,她背向着我(我此时才偶然发现她的右肩上有一颗黑痣),在地毯上抻直脚,开始主动同我搭话。
“老师,来这个公寓的路上竖有好几处小石板的吧?”
“嗯……”
“那是胞衣塚呢。”
“胞衣塚?”
“对,那就是为了表示下面埋有胞衣而立起来的石碑呢。”
“为什么这么说?”
“我看到了有好好写着字的石碑呀!”
女郎侧过脸,双目透过肩部落在了我身上,嘴角扬起一丝嘲讽似的微笑。
“谁都是裹着胎盘出生的吧?”
“尽说废话。”
“可是我想要是裹着胎盘出生的话……”
“?”
“就感觉像是小狗的孩子一样。”
我仍在她身前描动着毫无心气的笔刷。毫无心气?——这并不是在说我没有创作热情涌现。我察觉到自己总在她的身上追寻某种粗野张狂的表现,但这会伴以未知的表现并非凭我之力可触及的,我的内心也在呼唤我去避开它,这或许也就是使我用起画具笔刷以规避那野蛮表现的内心。
那要说我心底觉得我手中使着的家伙什是什么的话——我描动着笔刷,脑中时不时浮现的即是某个博物馆所藏的石棒与石剑。
她离开后,我在昏暗的电灯下摊开了本大册的高更画集,一幅幅细细看过几乎所有的画。
“虽料定该如此也……” 、“虽料定该如此也……”
尚未看完,耳旁隐有人言响起,我蓦地惊然知觉,这文言句子竟是从我口中发出的。我自是不明自己为何要不停重复这句话,只觉得毛骨悚然。吞过女仆放在床上的安眠药,我便草草睡下了。
再睁眼时已近十点,不只是昨夜屋里太暖还是因何,醒来时发现我却是爬到了地毯上的。但更让我深感不安的是目醒前所做的梦。
我站在房间正当中,一只手扼住了女郎的咽喉,想将她掐死。(而且我清楚的知道这只是个梦。)她稍稍仰起脸,仍不带有任何表情,在我力道加深中她渐渐闭上了双眼,同时她的乳房也愈加艳美的圆胀起来,那是一对其上静脉错综浅现,另有丝丝微光点起的乳房。我并不觉得扼死她我会有任何愧疚或悔意,不,不若说我感到了一种快感,一种了结了一件必将要行之事般的快感。她终是闭着双眼,确像是死去了。
从梦境中醒来,我先洗了把脸,再喝尽两杯浓茶意图平复心情,但并不奏效,我只益发觉着忧愁。我深晓我心底从未有过有欲掐她的想法,可在我意识以外的话——我叼起烟卷,遏制住莫名昂动的内心,等待着模特到来。
可一个小时过去了,她仍未敲响我房间的门。漫长的虚待令我痛苦万分,我想着要不先别等了出去散散步,可我整副身躯都在惧怕踏足外世一步。我试着移开房间拉门,探到户外来——这不值一提的小事都让我的神经不堪重负。
日暮渐起。
我在房间里来回踱步,等候着大许已经不会到来的模特。这期间在我脑中作响的是一件十二三年前的事情,那时——我还是个孩童,在一个同今日般的薄暮时分点着线香花火玩乐,地点自不是东京,而是在我父母所居住的乡里老家的檐廊上。正玩耍着,忽听耳旁有人大声喊到:“喂!醒一醒!”且还在晃动我的肩膀。我本以为我是坐在檐廊上的,可迷茫间回过神来再看四周时,却不知何时起我竟蹲在了家后边的葱田里,正一个劲的往葱上引着火,而我的火柴盒也在不甚明清间几乎空去——我的人生中存有我自己也丝毫不晓的时间。我咬着烟卷,忍不住如此思忖道。这想法与其说令我不安,不如说更令我感到害怕。
我在昨夜的梦中用一只手掐死了她——然而这若不是梦……
翌日也不见模特身影。
我最终去了一趟M家,询问她是否安健。但身为老板的M竟也不大清楚她的情况,我愈发心慌,先问下了她的住所。她曾对我说过她住在谷中三崎町,可依M的话,她应是住在本乡东片町的。
我在家家户户点起电灯的日晚时分找到了她的居所,那是一间建在某条巷道中、刷着淡红色油漆的西服洗衣店。在关着玻璃门的店内,两位只穿有一件衬衣的工人正仔细熨烫着衣服。我并未打算急急忙忙的闯进去,但头却不慎撞在了玻璃门上,相撞的声响自是扰到了工人们,连我自己都吓了一跳。
我怯怯跨入店中,向其中一人开口道:
“……在家吗?”
“……从前天就没回来。”
听到这话我心里再泛起了不安。但我仍打算多问一些,我不断提醒自己,不管出了什么事都切不可怀疑他们。
“她啊,一出门一星期都回不来呢。”
脸色颇差的一人滑动着手中的熨斗补上这句话,我从他的话中分明听出一种近乎轻蔑的不屑感。抱着对自己的不满,我离开了这家店。可这,却也还是好的。
回到满是歇业店家的东片町大街上,恍然间竟忆起自己曾几何时在梦中遭遇过这一切。刷着油漆的西服洗衣店、脸色铁青的工人、点着稀火的熨斗——不,不仅这些,出门去找寻她的过程也同我在几个月前(或许是几年前)梦中所见的别无二致。此外,我于梦中似乎也是在离开洗衣店后来到了现在一般冷清荒寂的大道上,而后——这之后的梦的内容没有在我记忆中留下半分痕迹。
可眼下不管会发生什么,大许都会突然知觉皆是梦中曾遇吧——我这样想着。
……
昭和二年
夢
芥川龍之介
わたしはすっかり疲れていた。肩や頸くびの凝こるのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々たまたま眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う職業も手伝うのか、大抵たいてい色彩のないことはなかった。わたしはある友だちと一しょにある場末ばすえのカッフェらしい硝子戸ガラスどの中なかへはいって行った。そのまた埃ほこりじみた硝子戸の外はちょうど柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになっていた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀わんに入れた料理を食った。が、食ってしまって見ると、椀の底に残っているのは一寸すんほどの蛇へびの頭あたまだった。――そんな夢も色彩ははっきりしていた。
わたしの下宿は寒さの厳しい東京のある郊外にあった。わたしは憂鬱ゆううつになって来ると、下宿の裏から土手どての上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆かなさびに染った砂利じゃりの上に何本も光っていた。それから向うの土手の上には何か椎しいらしい木が一本斜めに枝を伸ばしていた。それは憂鬱そのものと言っても、少しも差さし支つかえない景色だった。しかし銀座や浅草よりもわたしの心もちにぴったりしていた。「毒を以て毒を制す、」――わたしはひとり土手の上にしゃがみ、一本の煙草をふかしながら、時々そんなことを考えたりした。
わたしにも友だちはない訣わけではなかった。それはある年の若い金持ちの息子むすこの洋画家だった。彼はわたしの元気のないのを見、旅行に出ることを勧すすめたりした。「金の工面くめんなどはどうにでもなる。」――そうも親切に言ってくれたりした。が、たとい旅行に行っても、わたしの憂鬱の癒なおらないことはわたし自身誰よりも知り悉つくしていた。現にわたしは三四年前にもやはりこう云う憂鬱に陥り、一時でも気を紛まぎらせるためにはるばる長崎ながさきに旅行することにした。けれども長崎へ行って見ると、どの宿もわたしには気に入らなかった。のみならずやっと落ちついた宿も夜は大きい火取虫が何匹もひらひら舞いこんだりした。わたしはさんざん苦しんだ揚句あげく、まだ一週間とたたないうちにもう一度東京へ帰ることにした。……
ある霜柱の残っている午後、わたしは為替かわせをとりに行った帰りにふと制作慾を感じ出した。それは金のはいったためにモデルを使うことの出来るのも原因になっていたのに違いなかった。しかしまだそのほかにも何か発作的ほっさてきに制作慾の高まり出したのも確かだった。わたしは下宿へ帰らずにとりあえずMと云う家へ出かけ、十号ぐらいの人物を仕上げるためにモデルを一人雇うことにした。こう云う決心は憂鬱の中にも久しぶりにわたしを元気にした。「この画さえ仕上げれば死んでも善い。」――そんな気も実際したものだった。
Mと云う家からよこしたモデルは顔は余り綺麗きれいではなかった。が、体は――殊に胸は立派りっぱだったのに違いなかった。それからオオル・バックにした髪の毛も房ふさしていたのに違いなかった。わたしはこのモデルにも満足し、彼女を籐椅子とういすの上へ坐らせて見た後、早速さっそく仕事にとりかかることにした。裸になった彼女は花束の代りに英字新聞のしごいたのを持ち、ちょっと両足を組み合せたまま、頸くびを傾けているポオズをしていた。しかしわたしは画架がかに向うと、今更のように疲れていることを感じた。北に向いたわたしの部屋には火鉢の一つあるだけだった。わたしは勿論この火鉢に縁の焦こげるほど炭火を起した。が、部屋はまだ十分に暖らなかった。彼女は籐椅子に腰かけたなり、時々両腿りょうももの筋肉を反射的に震わせるようにした。わたしはブラッシュを動かしながら、その度に一々苛立いらだたしさを感じた。それは彼女に対するよりもストオヴ一つ買うことの出来ないわたし自身に対する苛立たしさだった。同時にまたこう云うことにも神経を使わずにはいられないわたし自身に対する苛立たしさだった。
「君の家うちはどこ?」
「あたしの家うち? あたしの家は谷中三崎町さんさきちょう。」
「君一人で住んでいるの?」
「いいえ、お友だちと二人で借りているんです。」
わたしはこんな話をしながら、静物せいぶつを描かいた古カンヴァスの上へ徐おもむろに色を加えて行った。彼女は頸くびを傾けたまま、全然表情らしいものを示したことはなかった。のみならず彼女の言葉は勿論、彼女の声もまた一本調子だった。それはわたしには持って生まれた彼女の気質としか思われなかった。わたしはそこに気安さを感じ、時々彼女を時間外にもポオズをつづけて貰ったりした。けれども何かの拍子ひょうしには目さえ動かさない彼女の姿にある妙な圧迫を感じることもない訣わけではなかった。
わたしの制作は捗はかどらなかった。わたしは一日の仕事を終ると、大抵たいていは絨氈じゅうたんの上にころがり、頸すじや頭を揉もんで見たり、ぼんやり部屋の中を眺めたりしていた。わたしの部屋には画架のほかに籐椅子の一脚あるだけだった。籐椅子は空気の湿度しつどの加減か、時々誰も坐らないのに籐とうのきしむ音をさせることもあった。わたしはこう云う時には無気味になり、早速どこかへ散歩へ出ることにしていた。しかし散歩に出ると云っても、下宿の裏の土手伝いに寺の多い田舎町いなかまちへ出るだけだった。
けれどもわたしは休みなしに毎日画架に向っていた。モデルもまた毎日通かよって来ていた。そのうちにわたしは彼女の体に前よりも圧迫を感じ出した。それにはまた彼女の健康に対する羨うらやましさもあったのに違いなかった。彼女は不相変あいかわらず無表情にじっと部屋の隅へ目をやったなり、薄赤い絨氈じゅうたんの上に横わっていた。「この女は人間よりも動物に似ている。」――わたしは画架にブラッシュをやりながら、時々そんなことを考えたりした。
ある生暖なまあたたかい風の立った午後、わたしはやはり画架に向かい、せっせとブラッシュを動かしていた。モデルはきょうはいつもよりは一層むっつりしているらしかった。わたしはいよいよ彼女の体に野蛮やばんな力を感じ出した。のみならず彼女の腋わきの下したや何かにあるにおいも感じ出した。そのはちょっと黒色人種こくしょくじんしゅの皮膚ひふの臭気しゅうきに近いものだった。
「君はどこで生まれたの?」
「群馬県××町」
「××町? 機織はたおり場ばの多い町だったね。」
「ええ。」
「君は機はたを織らなかったの?」
「子供の時に織ったことがあります。」
わたしはこう云う話の中にいつか彼女の乳首ちちくびの大きくなり出したのに気づいていた。それはちょうどキャベツの芽めのほぐれかかったのに近いものだった。わたしは勿論ふだんのように一心しんにブラッシュを動かしつづけた。が、彼女の乳首に――そのまた気味の悪い美しさに妙にこだわらずにはいられなかった。
その晩ばんも風はやまなかった。わたしはふと目をさまし、下宿の便所へ行こうとした。しかし意識がはっきりして見ると、障子しょうじだけはあけたものの、ずっとわたしの部屋の中を歩きまわっていたらしかった。わたしは思わず足をとめたまま、ぼんやりわたしの部屋の中に、――殊にわたしの足もとにある、薄赤い絨氈じゅうたんに目を落した。それから素足すあしの指先にそっと絨氈を撫なでまわした。絨氈の与える触覚は存外毛皮に近いものだった。「この絨氈の裏は何色だったかしら?」――そんなこともわたしには気がかりだった。が、裏をまくって見ることは妙にわたしには恐しかった。わたしは便所へ行った後、々そうそう床へはいることにした。
わたしは翌日の仕事をすますと、いつもよりも一層がっかりした。と云ってわたしの部屋にいることは反ってわたしには落ち着かなかった。そこでやはり下宿の裏の土手の上へ出ることにした。あたりはもう暮れかかっていた。が、立ち木や電柱は光の乏しいのにも関かかわらず、不思議にもはっきり浮き上っていた。わたしは土手伝いに歩きながら、おお声に叫びたい誘惑を感じた。しかし勿論そんな誘惑は抑えなければならないのに違いなかった。わたしはちょうど頭だけ歩いているように感じながら、土手伝いにある見すぼらしい田舎町いなかまちへ下おりて行った。
この田舎町は不相変あいかわらず人通りもほとんど見えなかった。しかし路みちばたのある電柱に朝鮮牛ちょうせんうしが一匹繋つないであった。朝鮮牛は頸くびをさしのべたまま、妙に女性的にうるんだ目にじっとわたしを見守っていた。それは何かわたしの来るのを待っているらしい表情だった。わたしはこう云う朝鮮牛の表情に穏かに戦を挑いどんでいるのを感じた。「あいつは屠殺者とさつしゃに向う時もああ云う目をするのに違いない。」――そんな気もわたしを不安にした。わたしはだんだん憂鬱になり、とうとうそこを通り過ぎずにある横町へ曲って行った。
それから二三日たったある午後、わたしはまた画架に向いながら、一生懸命にブラッシュを使っていた。薄赤い絨氈じゅうたんの上に横たわったモデルはやはり眉毛まゆげさえ動かさなかった。わたしはかれこれ半月の間、このモデルを前にしたまま、捗はかどらない制作をつづけていた。が、わたしたちの心もちは少しも互に打ち解けなかった。いや、むしろわたし自身には彼女の威圧を受けている感じの次第に強まるばかりだった。彼女は休憩きゅうけい時間にもシュミイズ一枚着たことはなかった。のみならずわたしの言葉にももの憂い返事をするだけだった。しかしきょうはどうしたのか、わたしに背中を向けたまま、(わたしはふと彼女の右の肩に黒子ほくろのあることを発見した。)絨氈の上に足を伸ばし、こうわたしに話しかけた。
「先生、この下宿へはいる路には細い石が何本も敷いてあるでしょう?」
「うん。……」
「あれは胞衣塚えなづかですね。」
「胞衣塚?」
「ええ、胞衣えなを埋めた標しるしに立てる石ですね。」
「どうして?」
「ちゃんと字のあるのも見えますもの。」
彼女は肩越しにわたしを眺め、ちらりと冷笑に近い表情を示した。
「誰でも胞衣をかぶって生まれて来るんですね?」
「つまらないことを言っている。」
「だって胞衣をかぶって生まれて来ると思うと、……」
「?……」
「犬の子のような気もしますものね。」
わたしはまた彼女を前に進まないブラッシュを動かし出した。進まない?――しかしそれは必ずしも気乗りのしないと云う訣わけではなかった。わたしはいつも彼女の中に何か荒あらしい表現を求めているものを感じていた。が、この何かを表現することはわたしの力量には及ばなかった。のみならず表現することを避けたい気もちも動いていた。それはあるいは油画の具やブラッシュを使って表現することを避けたい気もちかも知れなかった。では何を使うかと言えば、――わたしはブラッシュを動かしながら、時々どこかの博物館にあった石棒や石剣を思い出したりした。
彼女の帰ってしまった後、わたしは薄暗い電燈の下に大きいゴオガンの画集をひろげ、一枚ずつタイテイの画を眺めて行った。そのうちにふと気づいて見ると、いつか何度も口のうちに「かくあるべしと思いしが」と云う文語体の言葉を繰り返していた。なぜそんな言葉を繰り返していたかは勿論わたしにはわからなかった。しかしわたしは無気味になり、女中に床をとらせた上、眠り薬を嚥のんで眠ることにした。
わたしの目を醒さましたのはかれこれ十時に近い頃だった。わたしはゆうべ暖かったせいか、絨氈の上へのり出していた。が、それよりも気になったのは目の醒める前に見た夢だった。わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞しめ殺そうとしていた。(しかもその夢であることははっきりわたし自身にもわかっていた。)彼女はやや顔を仰向あおむけ、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶって行った。同時にまた彼女の乳房ちぶさはまるまると綺麗きれいにふくらんで行った。それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。――こう云う夢から醒めたわたしは顔を洗って来た後、濃こい茶を二三杯飲み干したりした。けれどもわたしの心もちは一層憂鬱になるばかりだった。わたしはわたしの心の底にも彼女を殺したいと思ったことはなかった。しかしわたしの意識の外には、――わたしは巻煙草まきたばこをふかしながら、妙にわくわくする心もちを抑え、モデルの来るのを待ち暮らした。けれども彼女は一時になっても、わたしの部屋を尋ねなかった。この彼女を待っている間はわたしにはかなり苦しかった。わたしは一そ彼女を待たずに散歩に出ようかと思ったりした。が、散歩に出ることはそれ自身わたしには怖しかった。わたしの部屋の障子の外へ出る、――そんな何でもないことさえわたしの神経には堪えられなかった。
日の暮はだんだん迫り出した。わたしは部屋の中を歩みまわり、来るはずのないモデルを待ち暮らした。そのうちにわたしの思い出したのは十二三年前の出来事だった。わたしは――まだ子供だったわたしはやはりこう云う日の暮に線香せんこう花火に火をつけていた。それは勿論東京ではない。わたしの父母の住んでいた田舎いなかの家の縁先えんさきだった。すると誰かおお声に「おい、しっかりしろ」と云うものがあった。のみならず肩を揺すぶるものもあった。わたしは勿論縁先に腰をおろしているつもりだった。が、ぼんやり気がついて見ると、いつか家の後うしろにある葱畠ねぎばたけの前にしゃがんだまま、せっせと葱に火をつけていた。のみならずわたしのマッチの箱もいつかあらまし空からになっていた。――わたしは巻煙草をふかしながら、わたしの生活にはわたし自身の少しも知らない時間のあることを考えない訣わけには行かなかった。こう云う考えはわたしには不安よりもむしろ無気味だった。わたしはゆうべ夢の中に片手に彼女を絞め殺した。けれども夢の中でなかったとしたら、……
モデルは次の日もやって来なかった。わたしはとうとうMと云う家へ行き、彼女の安否あんぴを尋ねることにした。しかしMの主人もまた彼女のことは知らなかった。わたしはいよいよ不安になり、彼女の宿所を教えて貰った。彼女は彼女自身の言葉によれば谷中三崎町やなかさんさきちょうにいるはずだった。が、Mの主人の言葉によれば本郷東片町ほんごうひがしかたまちにいるはずだった。わたしは電燈のともりかかった頃に本郷東片町の彼女の宿へ辿たどり着いた。それはある横町にある、薄赤いペンキ塗りの西洋洗濯屋だった。硝子戸ガラスどを立てた洗濯屋の店にはシャツ一枚になった職人が二人せっせとアイロンを動かしていた。わたしは格別急がずに店先の硝子戸をあけようとした。が、いつか硝子戸にわたしの頭をぶつけていた。この音には勿論職人たちをはじめ、わたし自身も驚かずにはいられなかった。
わたしは怯おず怯おず店の中にはいり、職人たちの一人に声をかけた。
「………さんと云う人はいるでしょうか?」
「………さんはおとといから帰って来ません。」
この言葉はわたしを不安にした。が、それ以上尋ねることはやはりわたしには考えものだった。わたしは何かあった場合に彼等に疑いをかけられない用心をする気もちも持ち合せていた。
「あの人は時々うちをあけると、一週間も帰って来ないんですから。」
顔色の悪い職人の一人はアイロンの手を休めずにこう云う言葉も加えたりした。わたしは彼の言葉の中にはっきり軽蔑に近いものを感じ、わたし自身に腹を立てながら、々そうそうこの店を後うしろにした。しかしそれはまだ善かった。わたしは割にしもた家の多い東片町の往来を歩いているうちにふといつか夢の中にこんなことに出合ったのを思い出した。ペンキ塗りの西洋洗濯屋も、顔色の悪い職人も、火を透すかしたアイロンも――いや、彼女を尋ねて行ったことも確かにわたしには何箇月か前の(あるいはまた何年か前の)夢の中に見たのと変らなかった。のみならずわたしはその夢の中でもやはり洗濯屋を後ろにした後、こう云う寂しい往来をたった一人歩いていたらしかった。それから、――それから先の夢の記憶は少しもわたしには残っていなかった。けれども今何か起れば、それもたちまちその夢の中の出来事になり兼ねない心もちもした。………
(昭和二年)