「ミステリー小説」みなと町探偵の日常事件簿 第一章 3

第一章 ライターの秘密 3

 その女性は睦町に住んでるらしかった。

 MAPで検索すると、南区の中村橋商店街付近。ここからなら余裕で自転車で行ける距離だ。

 俺は早川さんが車で送るというのを丁重に断り(自転車を置いていくわけにはいかないからな)、愛車で向かう。

 しかし今日は近距離ながら移動が多い。気候はサイクリング日和だが、こう何度もあちこちに行くと流石に疲れるな。どうせ急ぐ案件でもないし、のんびり行くか。

 俺は急ぐことなく中村橋商店街へ向かった。

 その住所にあったのはパン屋だった。

 こじんまりしたパン屋だった。二階建てで一階がパン屋みたいな。

 パン屋に住んでる……?

 そう考えたが二階の窓は閉まっていて、開けた形跡も無さそうだった。

 とりあえず入ってみるか。

 俺は店内に入っていくことにした。運良く客はおらず、レジに店員がいるだけだ。店員はパンを乗せるトレーを拭いていた。三十代くらいのお姉さんだった。

「すいません」

 俺が話しかけると店員のお姉さんは一瞬驚いたように顔を上げ、すぐに営業スマイルに切り替わった

「いらっしゃいませ」

「あの……この人を呼んで欲しいのですが」

 俺はスマホの画像を見せた。紙データとか見せると言い訳が厳しいからだ。履歴書の写真がスナップ写真の切り抜きで助かった。履歴書的には最悪なんだろうが。

「はい?」

 店員のお姉さんは不思議そうな顔をする。

「こちらで働いているって聞いたのですが」

「ここで?」

 俺は頷いた。

何かの間違いじゃないかしら……。パートは昼間は私ひとりだし、夜のアルバイトは大学生よ。あとはオーナーご夫妻しか居ないから。オーナーご夫妻も私と同じ三十代だし」

「……そうですか」

 写真の女性はどう見ても四十代だ。この店にその年代の人は働いてはいないようだ。

「お客さんで、こういう人見たことないですか?」

 店員のお姉さんはあからさまに怪訝(けげん)な顔をした。そりゃそうだろうな。

「あの、実はウチの祖父が最近道で転びまして。この画像によく似た人に助けて貰ったそうなんですよ。あ、ちなみにこの画像は俺の叔母なんすけど」

 店員のお姉さんはあらという顔をした。

「どうしてもお礼がしたいから探して来いって言われて。孫使いが荒いっつーか、無茶振り(むちゃぶり)だろ、みたいな?」

 そこまで言うとやっと笑みを見せてくれた。

「んで、何かいろいろ聞いてたら、ここのパン屋さんの人じゃないかって聞いて」

「そうなんだ?うーん、でも見たことないかなあ。でもこの画像はかなり綺麗にお化粧してるから、スッピンだともしかしたら分からないかもしれないけど。でもウチの常連さんじゃないわね。常連さんはみんなお年寄りだから」

「そうっすか。じゃあまた他当たってみます!」

「大変だろうけど頑張って!孝行だと思って」

 俺は丁寧に礼を言った。

 もう手掛かりなしだな。今日はもう帰ろう。作戦練り直しだ。だとしたら…腹が減っては戦はできぬパンでも買って帰ろう。

 店内を見て回ると運良くセール品があった。トレイに乗せる。甘いパンばっかりだ。惣菜パンもひとつくらい買っていこう。

 しかし……思ったようにはいかなかった。住所くらい本当のことを書いているかと思ったんだけど。

 彼女は今回の派遣が初めてではないと派遣会社の男は言っていた。今まで連絡つかなかったことはないし、仕事に穴を開けたこともなかったそうだ。

 何の目的で違う住所を書いたんだ?しかもそんなに素人が思いつきの住所なんて書くもんだろうか……?

 俺はひとつの可能性を考えて、レジへ向かった。

「あの……この店に本店とか支店とかないっすか?」

 レジのお姉さんは丁寧にパンを包みながら答える。

ここはそういうのないわよ」

「……そうっすか」

 俺は仕方なく小銭をトレーに置く。

「あ。でも姉妹店ならあるか。オーナーのお兄さんがやってる店が横須賀にあるけど」

 横須賀?

一応お店の場所と連絡先が書いてあるカードがあるから入れておくね」

 そう言ってにっこりと微笑みながらパンの入った袋を差し出してくれた。

  俺はパンを齧り(かじる)ながらベッドに倒れ込んだ。意外とイケるなこの焼きそばパン。

 手元のカードを眺める。横須賀に二軒。明日行ってみるつもりだ。手掛かりがない以上、思いつく限り探してみるしかない。まさかたかがライターを探すのにこんなに苦労するとは思わなかった。

 どっちの店も京急線沿い(ぞい)だ。京急堀ノ内駅と横須賀中央駅。横須賀中央駅は駅前にあるらしいが、堀ノ内駅のほうは…駅から歩いて二十分!愛車を持っていくわけにはいかないから徒歩で行くしかあるまい今日は早めに休もう。

 突然スマホが鳴った。

 画面の表示を見ると、早川さんだった。仕方なくでる

『見つかったか?』

 開口一番(かいこういちばん)それかよ!

「いえ…」

 電話口で舌打ちが聞こえた。後ろからすいませんっ!と うっすら聞こえた

『……舐めた真似しやがって』

「いや、だから、まだ何もしてないでしょう!?」

『うるせえ。偽の住所掴まされたとか沽券(こけん)にかかわるんだよ!

 あー。もうだから会いたくなかったんだよな、大事(おおごと)になるから。

「明日、横須賀に行ってきます」

『横須賀?』

「もし横須賀でも見つからなかったら、ライターは諦めるよう爺さんに伝えます」

 とりあえずもう一回は飲み屋から爺さんの自宅までは探してみるけどな。

『……一人で行くのか?』

「え?あ、はい」

 早川さんは予想外のことを言ってきた

『俺も行ってやろうか?』

 は?

 兄貴、明日は会合が……とかまたうっすら聞こえてくる。そしてドガッと大きな音がした。きっとまた早川さんが何かを蹴ったんだろう。

『……夕方からでよければ一緒に行ってやる』

「いやいや、俺はライターを探したいだけだから。もし彼女を見つけたら連絡はしますよ」

 そっちの事情は俺には関係ないからな。勝手にやってくれ。

「無駄足になるかもしれないし」

『……そうか』

 早川さんはそれ以上何も言わず、明日必ず連絡を入れることを約束させられ電話を切った。

 俺は溜め息をつく。

 ヤクザのいろいろに巻き込まれても嫌だし、早川さんの個人的な心配でも嫌だった。俺はペットの犬じゃねえし、そんなに過保護にされても困る。

 優しくされて頼り切った挙げ句、いきなり突き放されて 放り出されても面倒なだけだ。

    その店は住宅街の中にあった。

 季節外れの暑さ。朝起きて快晴だー!とか喜んでた自分をぶん殴りたい。つか徒歩二十分もちょっと嘘だよな、俺三十分は歩いてるわ。

 そのパン屋はカフェも併設(へいせつ)されてるようだ。絶対寄る。

 俺は息を整えると店の中に入る。昨日行ったパン屋とはまた違った感じで、パンの種類も豊富で店内は広かった。店内にはちらほらと客がいたパンを 買って出ていく客もいれば、そのまま隣のカフェに持っていく客もいた。

 俺はパンを選ぶふりをして客が引くのを待つ。とりあえずトレイにはチョコレートが掛かったデニッシュを乗せておく。

「持ち帰りですか?カフェをご利用ですか?」

 俺がレジの前に立つと五十代と思われるおばちゃんがそう言った。ここはもう二人店員がいたが、皆昨日の店よりも平均年齢が高そうだった。

「カフェで。というか……この方、いらっしゃいませんか?」

 俺はレジのおばちゃんにスマホをかざす。

 おばちゃんは胡散臭そうだと言わんばかりに俺の顔とスマホを見比べた。

「……高橋さーん!」

 おばちゃんは俺に何も言わずに同僚の名を呼んだ。

 奥から同世代のおばちゃんが出てきた。おばちゃん二人は何やらコソコソと話している。

 困ったな。仕方ない……

「うちの祖父が先日道で転んだ時に助けて頂いたようなんです。ちなみにこの画像はうちの叔母で、叔母に似た人に助けて貰ったって言うんで」

 ひと息に話す。多少の怪しさはあるが仕方ねえ。

 おばちゃん二人は俺のスマホににじり寄ってきて画面を眺めた。

よく似た人ってやっぱり居るのね」

「この世に自分に似た人は三人いるっていうじゃない?」

「「───ほんと森さんにそっくり!」」

 へ?

 もしかして…ビンゴ?

 よほど俺がアホ面(アホヅラ)を晒していたに違いない。おばちゃん達は同時に吹き出した。(笑出声

 そこから先はおばちゃんお得意の質問責め(質問攻め しつもんぜめ)だった。どこから来たの?とかお祖父ちゃんの怪我はどうなの?とか。まー 矢継ぎ早(やつぎばや)に喋った。

「で、その”森さん”は今日はお休みなんですか?」

 俺はやっとのことで会話に滑り込む。このまま付き合わされちゃ 敵わない。

「えーと、たぶん出勤だったはずよね?」

「たぶん?」

「ええ。森さんは横須賀中央店のパートさんだから」

 はい!?今なんて?

「今日出勤かどうか電話で聞いて上げるわ

 そう言うと高橋さんと呼ばれたおばちゃんはすごい速さで奥へ入って行った。

「あ、あの…!!」

「こういうのは聞いたほうが早いの。気にしないで!」

 残ったレジのおばちゃんに腕をパシパシと叩かれた。

 いや、そうじゃねえ。怪しまれて逃げられたらどうしてくれるんだよ…。いや、もう仕方ねえか。

「今日は三時からだって!」

 奥から大きな声がした。

 俺は引き攣った(ひきつる)笑顔で礼を言った。とりあえず所在は掴めたし、行ってみて出たとこ勝負しかあるまい。

 おばちゃん達は俺をやたらと『孝行息子…じゃなかった孝行孫ねえ』と褒めまくり、注文したアイスコーヒーのMサイズを無料でLサイズに変更してくれた多少気は引けたが、まあそれで見つけられそうなんだから割り切るしかないか。

 俺はカフェのテラス席へ向かい、のんびりと外を眺めた。駅から離れてて散々文句は言ったが、ここから見える緑が綺麗な景色は悪くないと思った。

 帰り際(かえりぎわ)、おばちゃん達に再び挨拶に向かうと、横須賀中央店までの詳細な道順(みちじゅん)を教えてくれた。駅前だから間違うことはないだろうが、俺は大人しく聞いていた。そして最後にはカフェの割引券をくれた。

    俺は横須賀中央駅まで戻ると三時まで時間があったので、奮発してネイビーバーガーを食べることにした。横須賀まで来て、コレを食べて帰らないとかないっしょ。少し歩くことになりそうだったが、さっきの徒歩三十分よりは全然マシだった。住宅街を歩くのと店が並ぶ道を歩くのは気分が全然違う。それにやっぱりチョコレートデニッシュ一個じゃ全然足りねえし。

 多少の出費は痛かったが、結構ボリュームのあるジューシーなハンバーガーに免じて許すとしよう。

 俺は教えられた店へ向かった。ちょうど三時になるところだった。

 俺は外から店内を覗く。本当に来ているだろうか?

 さっきの店よりかなり小さめの店だった。ここにはカフェは併設されてはいない。店員が二人何やらレジの前で話していた。どっちが例の女だ?

 話が済むと一人は奥へ入っていった。レジには店員が一人残っている

 顔を確認する。どうやら年齢的には近そうだ。俺はスマホの画面とレジの女を見較べる。化粧のせいか雰囲気は全く違うが、憂い(うれい)を帯びた瞳、口元のホクロ、どうやら間違いなさそうだった

 俺は客が店を出た瞬間を狙って、店内に入りこんだ。

 レジ前の女はトレイを片付けるのに夢中で俺には気付いていないようだった。

「…あの」

 女は顔を上げた。

 あ。間違いない、この女だ。

「───もしかして貴方が例の、お孫さん?」

 俺は頷いた。

「麦田町の”アムール”に来てた人ですよね?」

「───ああ、もしかして……蓮見さんの?」

 俺は再び頷いた。

「蓮見さん、怪我でもされたの?」

「いえ、怪我はしてないです。すいません。貴女を探していたもので」

 彼女はギュと唇を結んだ。

「……蓮見さんのライター知りませんか?」

 俺はど直球で聞く。

「もし拾って持ってたら、俺が預かって返しておきますんで」

 あえて”拾った”と告げる。拾っただろうが盗んだだろうが、返して貰えればそんなのどうでもいい。捕まえに来たわけじゃない。

 彼女からの返事はなかった。

「───ライター、のことね。確かに持ってるわよ。でも……」

 またそこで言葉が途切れた。俺は粘り強く次の言葉を待った。

「……今日は八時に終わるの。それまで待ってくれるなら」

「待ちますよ」

 彼女は何も答えず頷いた。

「八時にまた来ます。それで大丈夫ですか?」

 彼女は再び頷いた。目は  伏せたままだった。


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