夏の雨というものは、嫌いではない。うだるような暑さが、いささか和らぎ、なんといっても、あの遠慮のない勢いが好きだ。なんだか清清する。悪役が、悪事を並べ立てられて、正義が正義っぽい言葉を使って、それを成敗する。そんな場面を観たときのような、そんな感じに近い。
でも、朝はちがう。まぶしくって、目をつぶる。でも、橙色と所々黒い何かがうごめいていて、それが気になって眠れない。よくわからない鳥の甲高い声がいくつもある。それを聞くと頭の中に、鳥と葉っぱと日光が浮かぶ。そうなって、寝ているのがもったいなくなって、起きる。朝、意識が戻って雨音がしていたら、無性に腹が立つ。外は鼠色をしていて、目をあけないでもわかる。起きようかやめようか、ずっと考えてしまう。悲しいことばかりが頭に浮かんで、いけない。なんだかよくわからない不安でいっぱいになる。今度はその不安で眠れなくなる。こんな時、お母さんに起きるよう催促されると、腹が立つ。でも、それが、また、不安を呼ぶ。
家には満枝ちゃんが迎えに来る。
「お稲ちゃん」なんて、大きな声で叫ぶ。いつも同じ時間に来るのだから、呼ぶ必要なんて、ない。自分の名前を好かないから。お父さんが、私が生まれる前日に稲が揺れている夢を見たから、なんて。満枝ちゃんとだまって歩いて、モノクロの景色に、赤い傘と水色の傘。赤が私の。道に紫陽花があって、雨粒で揺れている。こんな景色、前にもあった。いつだかわからないけど、前にもあった。そんなことがよくある。雨の日の匂いは好かない。きたない感じがして、よくない。傘を持っているときは、二人とも黙るけど、満枝ちゃんも不安を感じているのかしら。自分に湧いてくる気持ちは、他の人も持つものだなんて、どこかで思っている。これもまた、みんな持つものだと思う。そして、これも、また、だなんて繰り返し、繰り返し考えを回すことがよくある。昨日もそうだった。
「満枝ちゃんは嘘つきだな」と先生。
「はい、私は嘘つきです」って、満枝ちゃんが答えた。満枝ちゃんが嘘つきなら、私は嘘つきです、っていう言葉は、嘘になる。ということは、満枝ちゃんは正直者になって、さっきの言葉は、本当になる。ならば、満枝ちゃんは、嘘つきになる。そんなことをずっと考えて、頭の中でぐるぐる回って止まる前に、悲しくなる。これからもこんなことが続くのかなって思うと、嫌になる。時折、この旋回の途中で、ひょっとしたら自分は天才なのかしら、って思うけど、学科の試験がそれを壊してくれる。でも、お稲ちゃんは達筆だ、ってみんな褒めてくれる。この前、千尋さんがそう言ってくれた。幾人の人に言われるより、嬉しい様な、恥ずかしい様な、わけのわからない気持ちがした。
明日は、お友達四人、それと千尋さん、千尋さんのお友達三人で富士山に行きましょう、って満枝ちゃんに誘われた。もう決まっている所に、自分が後から呼ばれたことが少し寂しい。でも、呼ばれたことで、まだどこかに所属できているのかしら、って。また頭の中がぐるぐる回り始めてしまう。声をかけてくれたのは満枝ちゃんだけれど、誰が私を提案してくれたのかしら。胸の内のどこかで何かを期待している。
お父さんには、嘘をついて夜行列車で、まるで冒険の様。楽しさいっぱいの罪悪感少し。はい、私は嘘つきです。ふと、満枝ちゃんの言葉が浮かんでくる。男の人たちは、あと幾日かで徴兵されるから、お金を出し合って煙草の入物を買った。私は、千尋さんにそれを手渡した。それが済むと、今日の仕事が終わったような、まるで、お歌の発表会で、自分の番を終えた時のような、そんな気がした。
それから雨の朝は、いつもこの富士山のことで頭をぐるぐるさせて、退屈も不安もなかった。しばらくして、手紙が来た。千尋さんからだった。驚きに出会うと、誰かに話したくなってしまう。お父さんと、お母さんがいたら、お母さんに話そうとするのが不思議。見せると、お母さんが封を開け、黙読してから溜息をつき、見せてくれない。最近は、お母さんへの嫌いの感情の方が、好きよりも多い。雨の音と色とが、腹立たしさを増す。
くず箱に、細かく破かれた千尋さんからの手紙を見つけた。「予科練」という言葉が断片の一つにあった。外の雨が悲しさを増す。
さようなら。今度は、朝の鳥にでもなってください。雨はいけません。昼の雨も好きません。夏の雨は、悪い雨です。
どうして私に、手紙をくれたのかしら。頭の中がぐるぐるします。
色即是空空即是色。
そんな時代。昭和二十年。