ACT3 宿敵

ACT3 宿敵

今頃になって気がつくなんて、私はなんて間抜けだったんだろうか……例えラインハルトさまにその気がなくっても、あんな無節操男に言い寄られては、気付かないうち丸裸にされてしまう。ましてや恋愛事において、全く鈍いと言っていいラインハルトさまなら、あの人にとっては赤子の手を捻るよりも簡単な事だろう……

呟きの主、ジークフリード・キルヒアイスは眩暈を起こしかけていた。

念願叶って、想い慕うラインハルトと相思相愛となり、早一年が過ぎていた。相変わらずラインハルトの奥手ぶりが、二人の関係の進行を阻んでいたが、一応は蜜月と言える日々を過ごしていた。

そう、たった今キルヒアイスが周りの視線に気付くまでは。

キルヒアイスは軍務省のとあるサロンで、ラインハルトの後ろにいた。ラインハルトは事務方の高官と話があるようで、なにやら手に持った書類を示して熱心に話をしていた。

同じサロンには偶然なのだが、名だたる武将が居合わせていた。漁色家金銀妖瞳のロイエンタール、疾風のミッターマイヤー、猪突のビッテンフェルト、ミュラー……。

ロイエンタールとミッターマイヤーは二人で話をしていたが、その他は別の人と話をしていた。だが、キルヒアイスは気付いてしまった。4人の視線がラインハルトに集中している事を。

ミッターマイヤーは純粋に、ラインハルトを見ているように思えたが、キルヒアイスに眩暈を起こさせたのは他の3人。特に漁色家金銀妖瞳のロイエンタールだった。

ロイエンタールは先日嵐の中、友人のミッターマイヤーの助力を請うため、ラインハルトに会いに来ていた。その時はラインハルトが現王朝について訊いたりするものだから、意識が全然別のところへ向いて気が付かなかった。が、しかし今のこの視線は間違いなく、ラインハルトを狙っている。

ほかの二人もそうだ。狙っているとは、無論暗殺の類ではない。この妙に熱く粘い視線は、間違いなく色恋沙汰のもので、キルヒアイスは知らぬ間に、多くの恋敵が出現していた事に気付かされたのだった。

キルヒアイスは無意識に、立つ位置を変えて皆の熱い視線を遮った。それに気が付いた者たちから、挑戦状とも思える視線が一気にキルヒアイスに集中した。それに気付いたキルヒアイスも、負けじと気勢をはり挑戦状を跳ね返した。

双方の間に見えない火花が散る…

「…イス、キルヒアイスっ!」

振り返ると、怪訝そうな顔をしたラインハルトが立っていた。

「何かあったのか?いくら呼んでも、全然気がついてない風だったが」

色恋沙汰で張り合って、火花を散らしていたなどと言うことも出来ず、キルヒアイスは慌てた。

「いえ、何でもありません」

怪訝そうな顔のまま、ラインハルトは部屋を出ようと歩き出した。

「閣下」

キルヒアイスにとって、出来れば避けたかった相手が、ラインハルトに近づいて来た。ロイエンタールとミッターマイヤーが先日の礼も兼ねて、挨拶をしに近づいて来たのである。今までのキルヒアイスなら単に挨拶だろうと思えるのに、今に至ってはロイエンタールに対して妙に身構えてしまった。

「閣下、先日はありがとうございました。何か閣下のお役に立てる事がありましたら、何なりとお申し付けください。このロイエンタール共々、閣下の為なら身を厭いません」

ラインハルトは、辺りを憚って軽く頭を下げたミッターマイヤーの肩を叩いた。

「期待させてもらう」

ラインハルトは短く答えて、二人に目配せして頷いた。

キルヒアイスはロイエンタールの事が気になって、ずっとロイエンタールの方を見ていた。

やがて二人の目が合った。

「卿は、いい上官を持って幸せだな……」

何処となく、ひっかかる響きでロイエンタールが言った。いや、単にキルヒアイスだけが、意識するあまりそう聞こえたのかもしれない。

「……恐縮です……」

キルヒアイスの方も何処となく、ひっかかる響きで返した。大人の余裕とでも言うのだろうか、キルヒアイスにはロイエンタールが、自分を子供扱いして勝ち誇っているように思えた。それが、また悔しくてキルヒアイスは苛立だった。

二人の間に、他人には見えない火花が散っていた。

「あっああん……キルヒアイス…もっとやさしくして…」

リンベルク・シュトラーゼの下宿に帰った二人は、その夜同じベッドの中にいた。

「何か、今日のキルヒアイス…変だぞ…んっ…」

頭の中から余裕で笑うロイエンタールの顔が離れないキルヒアイスは、その夜何時になくラインハルトを抱きたい衝動に駆られていた。

ラインハルトの中心のくびれに指を添えて、先端を口に含んで舌を絡ませると、恋人に乱れる様を強要した。まるで、ラインハルトをこんな姿に出来るのは自分だけだと誇示するように。

「ああっ…ダメ…そんなにしたら…」

普段と違う攻められ方に、ラインハルトは翻弄されていた。全身を小刻みに震わせながら、自分を見失いそうになるほどの快楽に浸っていた。

「あんっ、キルヒアイス…いく…」

キルヒアイスの肩を強く掴んで、全身を張り詰めさせたラインハルトは、キルヒアイスの口の中で果てた。

キルヒアイスが、果てたラインハルトの中心を清めるように丹念に舐め続けている間、ラインハルトは目を閉じ荒い呼吸を繰り返し、ほどこされる余韻に浸っていた。

思いがけず、キルヒアイスの舌が秘孔に触れる。

ラインハルトが驚いて体を起こすと、キルヒアイスも慌てて顔を上げた。

ラインハルトの訴えるような瞳とぶつかる。

「……まだでした…すみません」

最後までは、ラインハルトの心の準備が出来てから、という約束になっていた。未だ許しもなく先走ってしまったキルヒアイスは、謝罪すると俯いて自分の服を探し始めた。

……自分は焦っている…思いがけずライバルが多い事に気がついて、二人の関係を一刻も早く確固たるものとし、誰一人入り込む余地のないものとしたい。キルヒアイスは、無意識うち、そう焦っている自分に気がついた。

先ほどの性急さとは打って変わり、元気のないキルヒアイスの様子に、ラインハルトは自分が未だに許しを出さない事に、キルヒアイスが怒っているのかな、などと考えていた。

ここは、何とかしてキルヒアイスの機嫌を修復しなければ、とベッドの端に腰掛けて服を着ようとするキルヒアイスの手を止めた。その手から服を取り上げてベッドの端へ放ると、背中から両手を回して抱きついた。

キルヒアイスの首筋に優しく噛み付いて、回した手でキルヒアイスの乳首を細い指先で挟むと、首筋から順に肩、鎖骨へと唇を移動させていった。

ラインハルトはベッドから降りると、キルヒアイスの足の間に跪いた。

小さく隆起したキルヒアイスの乳首に唇を寄せ、軽く歯を立てて舌で転がす。手を伸ばしてキルヒアイスの中心を握り、細い指で裏のくぼんだ所を起用に刺激し始めた。手の後を追うようにラインハルトの舌が下っていき、すでに固くなったキルヒアイスの中心に触れると、躊躇する様子もなく両手を添えて口いっぱいに頬張って、頭を上下に動かし始めた。

キルヒアイスの手がラインハルトの頭に添えられる。輝くような金髪を揺らして、一心にキルヒアイスの中心を含む姿は、それだけでひどく官能的でキルヒアイスを感じさせた。

「ラインハルトさま…そろそろ、いきますよ……」

咥えたまま頷くと、吸い上げながら更にキルヒアイスを舐めた。やがて、キルヒアイスの中心が大きく張り詰めて、ラインハルトの口腔内へ精液を放った。

気持ちよかった?と問うような顔で、ラインハルトがキルヒアイスを見上げると、飲み仕損じた精液が、ラインハルトの唇の端を光らせていた。その事に気付いていないラインハルトは、唇を光らせたまま恥ずかしそうに微笑んでいた。キルヒアイスは苦笑いを浮かべて、ラインハルトの唇を拭った。

反射的にキルヒアイスはラインハルトを強く抱き寄せた。

高々、ライバルが増えたところで、あのラインハルトが自分以外の人間に、靡くことなどあり得ない。なぜその事が分からないのか。ラインハルトにとって自分が一番であると、なぜ自信が持てないのか。キルヒアイスは、ラインハルトがこんなに応えてくれるのに、自分一人焦っていた事を悔やんでいた。

出来る事なら、皆の前でラインハルトは自分のものだと宣言したい。そうすれば変にちょっかいを出す者も減るだろうに……キルヒアイスは抱きしめる腕に力を込めた。

ラインハルトは急に抱きしめられて戸惑っていた。だがこの様子では、取り敢えずキルヒアイスの怒りも静まったのだろうと安心して、抱きしめられる心地よさに体を預けた。

信じなければ……ラインハルトさまにとって自分が一番であると……キルヒアイスは、そう心に言い聞かせて眠りについた。

数日経って、またもキルヒアイスは嫌な相手に遭遇した。

軍務省の廊下の角を曲がったところで、ラインハルトとロイエンタールが親し気に話していた。ラインハルトはキルヒアイスの存在に気が付くと、振り返って今話していた事を話しかけてきた。

キルヒアイスは、ラインハルトの後ろに立ち、自分を挑発するように見るロイエンタールが気になって、ラインハルトに言葉にも上の空で相槌を打っていた。

ロイエンタールはキルヒアイスの視線に、唇の端でニヤリと笑って見せると、キルヒアイスを見据えたまま、ラインハルトに触れないスレスレの位置で、くせのある金髪にキスする真似をした。

瞬間、キルヒアイスの眉間に皺が寄る。

キルヒアイスの反応に気を良くすると、今度は金髪に触れる真似をした。

反射的に、キルヒアイスはからかわれていると知りながらも、我慢できずにロイエンタールの腕を掴んだ。

ラインハルトが驚いてキルヒアイスを見る。

「…いい加減にしていただけませんか?ロイエンタール少将」

両者の視線が鋭くぶつかりあったまま、キルヒアイスは掴んだままの手をゆっくりと下ろした。腕の拘束が解かれると、ロイエンタールは赤くなった手首をさすりながら苦笑いした。

「……卿は面白い男だ」

ラインハルトは、怪訝そうに双方の顔を見ていた。どう見ても、友好的な雰囲気とは言いがたく、今から一緒に王朝を倒そうという同士なのに、なぜこうも仲違いしているのか分からないでいた。

取り敢えずこの険悪な雰囲気を収拾しようと、自然と言い易いキルヒアイスへ制止の言葉が出た。

「キルヒアイス、いい加減にしたらどうだ。ロイエンタール少将に失礼じゃないか。突然の非礼を謝れ」

理由など分からないラインハルトには、当然の言動と言えるかもしれないが、キルヒアイスにとっては屈辱極まりない言葉だった。

「…こればかりは謝れません」

ラインハルトさまもラインハルトさまだ。事もあろうにロイエンタール少将に味方するとは。無防備に誰彼無しに笑いかけたりするから、無節操な男をその気にさせるんですよ……キルヒアイスは筋違いと思いながら、ラインハルトへも怒りの余波を向けた。

理由の説明もなく、あっさりと自分の意見を否定されて、ラインハルトもカチンと来た。

「勝手にしろ……だがなキルヒアイス、お前がどう思おうとロイエンタール少将は、俺の大切な同士だ。お前のせいで失うような事はしないでくれ!」

そう言い放つと、キルヒアイスには目もくれずさっさと歩き出した。

ロイエンタールを庇ったことで、キルヒアイスのやり場のない怒りは頂点に達し、その矛先は後に残されたロイエンタールに向けられた。

「これはまた一段と不機嫌になられたようで……」

当のロイエンタールはラインハルトとキルヒアイスのやり取りを見て笑っていた。

「ええ。貴方に会わなければ、こうも不機嫌にはならなかったでしょうね」

キルヒアイスの不機嫌さが面白いと言わんとばかりに、口元を緩ませてロイエンタールは続けた。

「まあ、卿が私に敵意を持つのは分からんでもないが……ま、俺としては形振り構わず人のものを取るのは趣味じゃない。相手から言い寄って来るぶんには拒まんがな。……しかし、てっきり卿らはそう言う関係かと思っていたが……」

言い寄ってくるぶんとは、どう言う意味だ?まるで、ラインハルトの方から近づいて行った、みたいな言い方をされてキルヒアイスの怒りが更に増した。

「そうですよ。そう言う関係です!ですから要らぬちょっかいは止めて頂きたい」

ロイエンタールは窓枠にもたれて、腕組をして聞いていた。

「ちょっかいねえ…」

前髪を指で整えて、遠ざかるラインハルトの後ろ姿を見ながら、意味にありげにロイエンタールは言った。

「私には卿が一方的に、私に敵意を燃やしているとしか思えんがな……まるで駄々をこねる子供のようだ。それにそう言う関係の割に閣下の腰周りが硬いように見えるが……あの様子では閣下まだ男を知ってはいまい?」

「なっ!……」

ロイエンタールの言葉に、図星を突かれたキルヒアイスは思わず絶句した。

「……図星か……卿はひどく気が長いな。あの方はそれで満足しているのか?……私なら一瞬で落としてみせるがな……ま、卿では経験不足と言うものか」

ロイエンタールは高らかな笑い声を残してその場を去って行った。後に残されたキルヒアイスは、ただ呆然とするばかりだった。

そうでしょうとも。私は貴方から見れば子供でしょうよ。まったく……図星ですよ。まだ私はお預けをくらったまま最後まで出来ないでいるのですから……その事がそんなにおかしいですか?変ですか?

キルヒアイスは怒りというか、悔しいというか、複雑に入り混じった思いでその場から暫く動けないでいた。

その日、ラインハルトとキルヒアイスは仕事の関係で別々に帰宅する事となった。キルヒアイスが下宿に帰ったのは深夜に近く、部屋の明かりはすでに消えていた。居間のソファーへ荷物を置くと、普段ラインハルトが座るソファーを見つめた。背もたれのところに手を置いて、ラインハルトの座っている姿を思い浮かべた。

キルヒアイスは昼間のやり取りが、心にずっと引っかかったままでいた。まさか、ロイエンタール少将が貴方を好きで狙っています。私と違って大人で危険な匂いがするあの男に、私は貴方が何時心変わりをするか不安でどうしようもない。だから一刻でも早く確固たる証明が欲しい……などと言う訳にもいかず。正直、純粋に気持ちを整理すれば斯様な事なのだが、今のキルヒアイスの心は複雑に絡まっていた。

一年も経つというのに、一向に先に進めないのは、何か他に理由があるのではとか。それが例えば、自分に飽きてロイエンタールなどの大人に興味が湧いたとか。他にも気になる相手がいるのではとか、そもそも同性でこんな関係になった事を後悔しているのではとか……何もかもすべてがキルヒアイスを不安にさせていた。

キルヒアイスは、急にラインハルトの顔が見たくなって、明かりの消されたラインハルトの寝室へと向かった。枕もとの小さな明かりをつけると、ラインハルトは眠ったまま、眩しそうに顔をしかめた。その様子を見たキルヒアイスは、愛しい想がつのってきて、そっと額にかかる髪を払うと額にキスをした。

こんなに好きなのに……こんなに愛してるのに、何で想いが通じないんだろうか……なんでこんなに不安になるんだろうか……

「……やめて…」

小さな寝言がラインハルトの口から漏れた。

瞬間、キルヒアイスの心に強い疑念が浮かぶ。

いったい誰の夢を見てるんだろうか。どんな夢なんだろうか。夢は現実を透写するというが……まさかロイエンタール少将では……キルヒアイスの心に浮かんだ疑念が、醜い嫉妬心に変わるのは一瞬だった。

……このままのん気に待っていたら、本当にあの無節操男に奪われてしまうんじゃないか……今すぐ、ラインハルトさまを征服し我がものとしなければ……

キルヒアイスは着ていた軍服を乱暴に脱いだ。上掛けを剥ぎ取ってラインハルトのパジャマのボタンを外すと、現れたピンク色の小さな乳首を夢中で吸った。

目を覚ましたラインハルトが、驚いてキルヒアイスを見る。

「キルヒアイス……?」

ラインハルトの問いかけにも一切答えず、キルヒアイスはラインハルトの体を征服しにかかった。やがて、ラインハルトの口から甘い吐息が漏れ始めた。

「……なんか…変だぞキルヒアイス…ああん…そんな…あっ強引…に……」

一切言葉を発しないまま、キルヒアイスがラインハルトの中心を口に含んだ。執拗に舌先を絡ませて、ラインハルトを攻めたてる。

「もっと、ゆっくり……んっああ!」

ラインハルトの一番感じやすい所を熟知したキルヒアイスは、あっけなくラインハルトをいかせた。体を震わせて余韻に浸るラインハルトをよそに、キルヒアイスはそのままラインハルトの中心から溢れる精液を、一滴も逃すまいと丹念に舐め続けた。

その舌先は、中心から下へ移動し秘孔へと続いた。まだキルヒアイスによって一度しか触れられた事のないそこは、ラインハルトを過敏に反応させる。驚いたラインハルトが身をよじり始めたが、キルヒアイスは逃れることを許さず、腰を強く掴んでそのまま舐め続けた。

「ちょ…待って!キルヒアイス」

執拗に舐めまわすキルヒアイスに、戸惑ったラインハルトが抗い始める。キルヒアイスはラインハルトの静止など聞き耳を持たず、ただ執拗に攻め続けた。

「だから、待てって…」

ついに我慢出来なくなったラインハルトが、体を起こしかけた。キルヒアイスは普段見せない怖い顔をして、起きかけたラインハルトの肩を、強い力でシーツへ押し付けた。

ラインハルトはキルヒアイスの思いがけない行動に、ただ驚くばかり。

キルヒアイスが無言で、ラインハルトの肩を押さえたまま、足の間に手を滑り込ませた。その手は、迷うことなく他人を拒む秘孔へとあてがわれた。

「キルヒアイスっやめっ…て…」

何時もと違うけはいを察したラインハルトは、キルヒアイスの拘束を振り払おうと、両手をバタつかせてもがいた。キルヒアイスは一旦、ラインハルトの秘孔から手を離すと、抗うラインハルトへ馬乗りになって、自分を遠ざけようとする両手を束ねて封じた。

しっかりとラインハルトの両手を封じたまま、体をずらしてラインハルトの足の間に膝を差し込んで無理やり足を開かせると、空いている手を再び秘孔へと伸ばした。

指がゆっくりとラインハルトの体内へ沈められる。

「痛っ!……どうして……」

ラインハルトは屈辱と、恐怖の入り混じった表情をしてキルヒアイスを見た。

不意に二人の目が重なる。

キルヒアイスは自分を見つめる、透き通った瞳に涙が浮かんでいるのを見た。瞬間、ラインハルトを拘束していた手が緩んだ。ラインハルトはすかさず拘束を振りほくと、思いっきりキルヒアイスの頬を叩いた。パチンと派手な音をたてて、キルヒアイスの頬が赤く変色していく。叩かれた音を合図に、動きの止まったキルヒアイスは、見る間に体から力が抜けて行き放心状態となった。

ラインハルトはベッドの端に後ずさり、シーツを引き寄せて自分の裸体を隠すと、怒りに任せた視線をキルヒアイスへと向けた。

「待つって言ったじゃないか!」

ラインハルトの声に我に返ったキルヒアイスが、負けじと言い返した。

「待ってたけど、何時まで経っても許してくれないじゃないですか!本当は心の準備なんてする気がないんでしょ?」

「なっ!……」

……実際そうだ。キルヒアイスの言った事は図星だった。取り敢えず、最後までしなくても感じる事は出来たし、性欲はそれなりに満たされていた。キルヒアイスも別に何も言わないし、それをいい事に心の準備をするふりをして、答えを先延ばしにしてごまかし続けてきた。でも、図星をつかれた挙句、こんな形で強攻策に出られたら、ラインハルトには反発するしか出来なかった。

「そんな……そんなに簡単に言うなよ!じゃあ、逆にするか?べつに俺が挿れられなきゃいけない決まりなんてないもんな。キルヒアイスが挿れられる方だっていいじゃないか!」

……そうだった。ラインハルトさまは女じゃない…だから別に一方的に決めることなんてなかったんだ……それなのに私は、最初から自分は挿れる方だとばっかり思ってた。自分が挿れられるなんて、これっぽっちも考えなかった……

キルヒアイスは愕然とした。

「ほら、みろ。やさしい言葉で、俺が許すまで待つなんてかっこいい事言っておきながら、キルヒアイスは俺の事なんて全然考えてなかったじゃないか!」

本当だ……自分が挿れられる、なんて思ったら、そんな簡単に許しなんて出せない。もしかしたら私は、自分の気持ちばかり押し付けて、ラインハルトさまの気持ちなんて何にも考えてなかったのかもしれない……酷い事をしてしまった……

愕然としたままキルヒアイスはゆっくりとラインハルトの方を見た。目に涙を浮かべて怒りを放つ、ラインハルトの瞳と重なる。その瞳は完全に自分を拒絶しているように思えた。

「出て行け!……もう、顔なんて見たくない!」

キルヒアイスの心に何かが突き刺さった。

反論の余地なんてない。ましてやいい訳など……心に比例する重い体を引きずって、キルヒアイスはラインハルトの部屋を後にした。

ドアを閉めると、余りの情けなさに涙が出てきた。自分は何と愚かな事をしてしまったのか……きっと、ラインハルトをひどく傷つけてしまった事だろう。キルヒアイスは自分のベッドに突っ伏して、声もたてずに泣いた。

最低だ……ラインハルトさまが実際に浮気したわけでもないのに、あんなに疑って……嫉妬して……自分の思うように応えてくれないからって、無理やり強要して……昔はもっと自分の気持ちを素直に出せたのに……きっと私の事嫌いになりますよね、ラインハルトさま。

翌日から二人の行動は最悪だった。ラインハルトは思いっきりキルヒアイスを避けていたし、キルヒアイス自身も、どう接したらいいか分からなくて、ラインハルトに近づけないでいた。

こんな時は、大概会わなくてもいい人に会うものだ……キルヒアイスは溜息交じりに、軍務省の廊下を歩いていた。

言い終わらぬ先から、嫌な人影が視界に入った。その人物は、窓枠にもたれて腕組みをしている……さり気ないしぐさが妙に決まっていて、大人を感じさせる雰囲気……

「……今日は噛み付いてこないのか?」

悔しくてやり場のない怒りを、思いっきりぶつけたかった。でも、今のキルヒアイスには反論する元気すらなくなっていた。

「……不機嫌というよりは……憔悴しきっている、と言うべきだな……ラインハルトさまと何かあったとみえる」

キルヒアイスは嫌々ながら足を止めた。ロイエンタールの方を見ぬまま、窓の外へ視線を移した。

「貴方には関係のない事です……それとも、私たちの仲が壊れていくのを待ってるんですか」

ロイエンタールは前髪を整えながら、鼻先で笑っていた。

「これだから子供は……」

いきなり思いつめた表情になって、キルヒアイスはロイエンタールを睨みつけた。

「どうせ子供です!……それでも貴方には渡さない……絶対に」

キルヒアイスの真剣さなどお構いなく、ロイエンタールは小さい溜息を吐きながら頭を振った。

「……奪ったり押し付けたりするのは、やがて疎まれ拒絶される……子供ってのは年齢の事じゃないさ……ま、がんばってくれ。手に入れるものは、困難を極めた方が価値が高まるからな」

じゃ。と手を挙げると、ロイエンタールは歩き出した。

……そんなこと、あんたに言われなくても分かってる……だから今、疎まれて拒絶されてるんじゃないか……なら、どうしたら良いって言うんだ…それが分かんないから、こんなにも苦しんでるんじゃないか……。

キルヒアイスは再び襲ってきた自己嫌悪に、憂鬱になって窓の外を見上げた。目に差し込む初夏の日差しが、自分の心と正反対に晴れわたって青く澄んでいた。

連日ラインハルトは、キルヒアイスを避けるため、しなくてもいい調べ事をして、帰宅は深夜の事が多かった。それでも今日は、どうあがいてもする仕事がなく、仕方なく帰宅していた。幸い下宿には明かりはついておらず、ホッとして久しぶりに居間のソファーへ腰掛けた。

……あのやさしいキルヒアイスがどうしてあんな事したんだろう……やっぱり、キルヒアイスのやさしさにかまけて、一年経っても許さなかった俺が悪いんだろうか?……だって、どう考えたって気持ち悪いに決まってる。どうしてあの頃のままじゃいけないのかな……相手の様子や出方ばっかり窺って、何時からこんなになったんだろう。前はもっと素直に何でも言い合えたのに……俺たちの関係はそんなに、たった一年ぐらいで壊れるような脆いもんだったのかな……

スタンドの小さな明かりの中、深々と腰掛けたラインハルトは目頭に手をやった。

……おかしいな……涙、出て来た……キルヒアイスは、まだ俺の事好きかな……

その時、後ろでドアの開く音がした。スタンドの小さな明かりだったので、カーテンに遮られて外から見たら、誰もいない様に見えたのだろう。ドアを開けた方も、不意に開けられた方も、一瞬硬直した。

「……あっ…すみません…」

キルヒアイスはやっとの思いで言葉を口にし、部屋を出ようとドアを閉めかけた。

「待て!……キルヒアイス。待って……」

語尾が弱々しい響きを放って、ラインハルトはソファーの背もたれから、キルヒアイスを振り返り見た。再びゆっくりドアが開くと、俯いたままのキルヒアイスが入ってきた。そのままドアのところに立って、言葉を発する事も無くただ俯いていた。

反射的に呼び止めたが、ラインハルトは話すべき言葉は見当たらなかった。ただ、キルヒアイスが退出を留まった事に安心すると、ソファーへ深く座り直した。

思えば、キルヒアイスの姿を見たの随分久しぶりのような気がする。少し、痩せたかなとも思った。自分の知っているキルヒアイスは、包み込むような青い目で、自分をいつも見ていてくれた。もっと、輝いていて、いつもやさしい光に溢れていたような気がした。その光に触れては、凍えたこの心を暖めていたのではなかったかな……あれは何時のころだっただろうか……

「初めて素肌に触れたときの事、覚えてるか?」

振り向かないままラインハルトは、独り言のようにキルヒアイスに語りかけた。

「お互いの温もりが、あんなにも幸せだった……全身から溢れるように、幸せだった……」

……そうだった。あの頃は周りの事なんて何も考えてなくて、ただ純粋にラインハルトが好きだった。他に何も要らない、ただラインハルトさまの事が好き。その気持ちで埋め尽されていた。あの頃の素直な気持ちは何処へ行ったんだろう……それが一番大切な事だったのに。

キルヒアイスは、ハッとしたように顔を上げた。

「……ラインハルトさま……私は一番大切な事を忘れていました。ラインハルトさまが私をどう思ってるかじゃなくて、自分がどうありたいかが大切なんですよね。まず最初に、私がラインハルトさまを好きでいる事。ラインハルトさまの幸せが私の幸せだと言う事……私が悪かったのです。ラインハルトさまの反応ばかり気になって試したり、在りもしない事に勝手な憶測を働かせて、疑心暗鬼になって攻めたりして……一番大切な事を忘れていました」

キルヒアイスは、何か探していた答えを見つけたように、ラインハルトの座るソファーの背を見つめた。

「……キルヒアイス一人が悪いんじゃない。俺だって悪かったんだ。お前が優しいばかりに甘えて、そんなに不安に思ってたなんて気付きもしなかった。……ただ単に最後までしたいばっかりで、答えを急かしてるだけかと思ってた」

ラインハルトはソファーから立ち上がると、キルヒアイスの方へ向いた。

「俺たちまだ、壊れるには早過ぎないかな……」

「許してくださるんですか」

キルヒアイスは驚きと、嬉しさが入り混じったような表情をしていた。

ラインハルトが、からかう様ないたずらな笑みを浮かべる。

「もう、あんな強行策には出ないよな」

「……ラインハルトさま……」

思いっきり苦笑いを浮かべて、キルヒアイスはラインハルトを見つめた。やがて、その顔から笑みが消えると、足が自然とラインハルトに向かって歩み出した。

ラインハルトを抱きしめようとして伸ばしかけた手が止まる。

「……抱きしめてもいいですか」

ラインハルトは答えるのも、もどかしいようにキルヒアイスに抱きついた。

嬉しさに震える手で、キルヒアイスはラインハルトを力強く抱きしめた。そして遠かったこの数日間の距離を埋めるように頬をすり合わせた。

「……キルヒアイス……抱いてくれ」

一瞬キルヒアイスの動きが止まる。

「ちゃんと最後まで……」

念を押すように、ラインハルトが続けた。

「寝室へ行こう……」

ラインハルトは、自分を抱きしめたまま動けないでいるキルヒアイスの手を引いて寝室へ向かった。ラインハルトの部屋へ入ると、キルヒアイスの中に数日前の苦い記憶が蘇って来て、その事がキルヒアイスを尚更躊躇させた。

ラインハルトはキルヒアイスの躊躇など臆する様子もなく、キルヒアイスの軍服を脱がせると、さっさと自分の服も脱いでしまった。

両手でキルヒアイスの顔を引き寄せ、冷たくなっていた互いの心に、暖かい空気を送り込むように強引に舌を絡ませた。体をすり寄せ素肌が触れ合い、互いを伝わる温もりが、随分久しぶりのように感じられた。

キルヒアイスは思い出していた。一年前、こうやって半身素肌をさらしてお互いの想いを伝えた事を。忘れかけていた切ない想いが、キルヒアイスの心に溢れて来た。

今まで鈍かったキルヒアイスが一変してラインハルトを強く求めた。

「ラインハルトさま……」

キルヒアイスは両腕に力を込めると、ラインハルトを強く抱きしめて、息をするのももどかしい位に舌を絡ませた。ラインハルトをベッドへ押し倒して、白い首筋に顔を埋めた。

ラインハルトは自分の肌に触れる、キルヒアイスの手や唇の感触がまるで初めてのような気がしていた。幾度々なく体を重ねてきたはずなのに、今夜はなぜが新鮮で、その事がラインハルトをひどく感じさせた。まるで初めてキルヒアイスと関係を持った頃のように、触れられた先から、恥じらいや嬉しさや幸せな気持ちが全身を満たしていた。

「キルヒアイス…いきそう…ああっ」

キルヒアイスの舌先で丹念に愛撫されたラインハルトは、キルヒアイスの口の中で果てた。双方に、至る先が見えて一瞬の戸惑いが生まれる。

ラインハルトが、許したように足の力を抜いて、瞳を固く閉じた。許しが出たもののキルヒアイスは先へ進めないで躊躇している。

「……いいよ、キルヒアイス……」

察したラインハルトの言葉に、キルヒアイスは躊躇いがちにラインハルトの秘孔に触れた。瞬間ラインハルトの体が強張る。キルヒアイスはラインハルトの緊張を解くように丹念に愛撫した。

やがて、ラインハルトの口から甘い吐息がもれ始めた。キルヒアイスはラインハルトの様子を窺いながら、指をあてがってみた。

ラインハルトが眉間に皺を寄せて、キルヒアイスの腕にしがみついた。ゆっくりと進む指の挿入とともに、ラインハルトは息を吐いて、全身から力を抜くように神経を集中させた。

「んんっ…」

ラインハルトを傷つけないように、注意を払いながら動かしているうちに、慣れて来たらしくラインハルトの体の緊張がとけてきた。キルヒアイスは、少しでもラインハルトの感じるところを探そうと、丹念に指を動かした。

「……ああん…そこ…い……」

ラインハルトの表情に甘美な色が浮かんでいた。

「…ラインハルトさま…いいですか」

快楽に眉を寄せてラインハルトは、熱にうなされて潤んだ瞳をキルヒアイスへと向けた。自分を見つめる青い瞳に合うと小さく頷いた。

「じゃ…キルヒアイスのを…」

ラインハルトは体を起こして、キルヒアイスの中心に手を伸ばした。

「……今されると、いってしまいそうなので…濡らすだけにしてください」

キルヒアイスは恥ずかしそうに、苦笑いしてそっぽを向いた。そんなキルヒアイスの様子を見たラインハルトはクスリと笑って、キルヒアイスの中心を、たっぷりと唾液を満たした口に含んだ。

それ以上されたらいってしまう、といった表情でキルヒアイスはラインハルトの肩に手をかけた。そのままシーツへ両手をつかせると、ラインハルトの腰に手を添えた。

ラインハルトの体が強張る。

キルヒアイスはゆっくりラインハルトの秘孔へ自分自身をあてがった。

「ラインハルトさま、力抜いてください……息吐いて…」

ゆっくりと先端が挿入を果たした。

「痛っ…んんっ…」

ラインハルトは苦痛に耐えるようとシーツを握りしめた。

「力抜いてください…ほら息吐いて…」

その言葉に、ラインハルトは努めて息を吐いた。瞬間、キルヒアイスが一気に挿って来る。

「うっ…くっ…」

予想出来ない圧迫感に、ラインハルトの声がくぐもった。キルヒアイスは苦しそうなラインハルトの気を少しでも紛らわそうと、ラインハルトの中心へ手を伸ばす。動かぬままラインハルトの中心を扱いていると、意識が逸れたのか緊張が解れて来た。

キルヒアイスはゆっくりと動き始めた。

最初は苦痛以外の何者でもない表情をしていたラインハルトだったが、次第に慣れたのか、甘い吐息を始めた。

「…んああっ……キルヒアイス…いつでもいって…」

初回からいける訳もなく、キルヒアイスはただラインハルトに負担をかけないように、今回は早々に達することに努めた。

「キ…い…ああっ」

だいぶ慣れたようでラインハルトは、細い首を仰け反らせて感じていた。

「いってもいいですか」

もう少ししたらラインハルトも一緒にいけるのでは、とキルヒアイスは思った。だが、ラインハルトは頷いて先を促した。

「…いって…」

何度か激しく攻めたてて、キルヒアイスはラインハルトの中で果てた。繋がったままラインハルトの背に覆いかぶさって、抱きしめるように横になった。荒い呼吸が、二人が折り重なっている場所から、互いへと伝わった。言い表すことが出来ない充足感が二人を包んでいた。

キルヒアイスは汗で張り付いたラインハルトの前髪を払うと、汗の浮いた白い首筋にキスをした。

「申し訳ありません…私だけ…」

ラインハルトは目を閉じたまま、クスリと笑った。

「馬鹿だな…最初からいける訳ないって」

キルヒアイスは背中から抱きしめたまま、ラインハルトの耳にキスをした。

「一つ訊いてもいいか?……キルヒアイスは、いったい何に怒ってたんだ?」

ラインハルトは目を閉じたまま、微笑を浮かべていた。キルヒアイスは神妙な表情になって、抱きしめる腕に力を込めた。自分の一人よがりだったと心から詫びて、素直な気持ちを口にした。

「多分小さい事の積み重なりで、特にこれと言ったものはなかったのですが……貴方の事を色目で見る人がいたので、取られるのでないかと不安になったのです」

ラインハルトは微笑んで、抱きしめられているキルヒアイスの腕に軽く噛み付いた。まるで、自分を置いて勝手に不安になった事を諌めるように。キルヒアイスも心の中で謝りながら「痛い」と笑った。

「……私も訊いてもいいですか?……その…許すのにどうしてこんなに時間がかかったのです?」

「…それは…気持ち悪そうだったし、第一痛そうじゃないか。だからキルヒアイスの口からあの言葉を聞いたとき、正直、何考えてんだ信じられないって思った。でも…」

ふてくされたように、ラインハルトはそっぽを向いて頬を赤く染めた。

「でも?」

キルヒアイスが、ラインハルトの首筋にキスしながら先を促した。

「……やっぱり痛かったけど……案外…気持ちいいもんなんだなって思った……こんなことなら、もう少し早く許しとけば良かったなと……」

キルヒアイスは苦笑いして、気の抜けた小さい溜息をついた。結局自分たちは、また遠回りをしたなと思いつつ、取り敢えず人よりも回り道はするが、このニブチン相手では仕方のない事かと諦めた。

思いようによっては、これが自分たちの関係が進んでいく証のように思われたし、何よりここ数日間の辛さに比べれば些細な事かと気を取り直した。

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やっとここまで来ました(笑) お互いが告白するのに2年。Hが出来るようになるのに1年。キルヒアイスが夢見る「腕の中で気持ち良さそうに喘ぐラインハルトさま」は何時の事になるのでしょうか? 取り敢えず全4話のうち、3話までお付き合いくださいましてありがとうございました。

次回は最終回 『誓約』 です。


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