目の前の人々が霧の中へと消えていく。この果てしなく長い道はどこへ終着するのだろうか―。
ここは中国。誰もが知っていて、誰もが一度は来たいと思うであろうこの偉大なる中国歴史産物―万里の長城。
世界各地から訪れた人々、彼らは笑顔に満ちていて、満足気である。しかし、その一方で僕は、ひとり孤独を感じていた。彼らの言葉が一切わからない。ふと日本語を耳にした時、改めて長いこと自分の母国語を使っていなかったと実感する。つまり、僕は「外国人」なのだ。すでに故郷を離れ、日本を離れた。
仰ぎ見た青空、遠くに浮かぶ飛行機。じっと目を凝らして見ようとするが、太陽の光で目がくらんでしまう…。
出国の数日前、父は僕を居酒屋に誘った。こうして一緒にお酒を飲むなんて、指で数えるくらいしかなかった。笑いながら、楽しそうに僕の幼いころの話をし、とめどなく酒をあおった。何度か聞いたことのある話、でも、初めて聞くように聞いた。どれくらい時間が経ったのだろうか、突然、父は黙ってしまった。一気に酒を飲み干した父の顔からは笑顔が消え、下を向き何やら独り言のようにつぶやいた。
「つらかったら、いつでも帰って来いよ。あさって、いなくなるんだな。まぁ、北京は近いからな。でも、おれ、パスポート持ってないや。」
父は大きく笑った。涙声だった。
帰路をふらつきながら歩く父、以前より小さく思える。そんな父を左に感じながら、僕はまっすぐ見つめている。無表情だ。それでも、涙がとめどなく溢れ出す。
地面が遠ざかり、ぼやけていく。不安がまた、不安を呼ぶ。まず、中国語が話せない、ただ、「こんにちは。」「ありがとう。」がせいぜいだ。こんなんでやっていけるのだろうか?友達はできるのだろうか?
機内のアナウンスを耳にしたとき、諦めと絶望に襲われた。この言語をマスターすることなんてできるのか。そこへ、キャビンアテンダントがやってきて何やら僕に話しかけてきた。わけがわからずただ苦笑いでごまかす僕に、今度は日本語で話しかけてきた。「何を飲みますか?」ショックだった。こんな基本的なこともわからないということに。
北京の空港はやはり大きい。そして、目にするのは期待に満ちた笑みと自信に満ちた目で堂々と歩く外国人たちだ。彼らは夢のために北京にやってきたのだろう。僕も自分に言い聞かす。
「俺もそうだ、夢があるんだ。それで遠く故郷を離れてやってきた。負けてたまるか!」
ふと顔を上げると、大きな幕に<北京へようこそ>
想像と現実の北京は違った。自転車は少なく、目にするバスはどれも二連結だ。幅の広い道路に看板はすべて簡体字。一言も理解できない人々の会話。自分が外国人であることがしみじみと感じられる。ほんの数時間が僕を「外国人」へと変えてしまった。
中国語の授業が始まった。クラスメートは南アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなど世界各地から集まった人たち。先生が黒板に生徒の中国名を漢字で書いていく。それぞ元の発音に近い名前がつけられるわけだが、日本人はもともと漢字をつかうという理由から、新しい名前は与えられない。そのため、発音は元の名前と似ても似つかないものとなってしまう。漢字も若干違う、例えば僕の名前「廣井佑樹」は中国語だと「广井佑树」これは本当に僕の名前なのだろうか?
教科書には漢字が無数にある。一体いくつ覚えればいいのだろう。中国語は簡体字が使われ、日本語の漢字とは全く形の異なるものも多い。例えば、「義、実、為、陽、発」の字は中国語では「义,实,为,阳,发」と書く。とはいっても、漢字は大体難なく覚えられる。一番の問題は話すこと・聞くことである。毎日、中国語の映画やテレビを観ているうちに、だんだん聞き取れるようになっていることに気付く。最初、授業が聞き取れるようになり、その後、友達と会話できるようになり、ついにはジャッキー・チェンの映画を字幕なしで観られるようにまでなった!これは夢の一つだっただけあって、この時の感動は今でも忘れない。一つの目標は達成した!
しかし、この数か月を振り返ってみると、成功もあれば、失敗もたくさんあった……。
習い始めの頃は自分が情けなくて仕方なかった。その頃すでに21歳。なぜ、今更「リンゴ」「お父さん」「お母さん」「一二三四……」なんて覚えなければならないのだ。こんなの3歳の子供が覚えるべきものなのに。ショックだった。それでも、子供が話す中国語にも及ばないでいることがくやしい。
だが、今考えると、いろいろあったが中国語を通してたくさんの知識や友達が得られた。会話の中で感動したり、勇気づけられたり。ドキドキしたり、傷ついたり。すべては言葉を学んだおかげだった。まだまだうまく話せなくてもコミュニケーションはとれる。言葉が僕の新たな世界を開いてくれたと断言できる。
時に国同士で大きな摩擦、誤解が起きることもあります。しかし、留学生との交流を通してお互いを理解すること、ちょっとした誤解を解く糸口を見つけ出すことができるのです。世界各国、それぞれの国は同じではありません。しかし、人同士に違いはあるでしょうか?きっと、世界中の人同士に壁はないことでしょう―私はそう強く信じています。今、たくさんの人が世界各地から中国に訪れています。みなさん僕ら外国人が話す中国語を聞いたことがありますか?それぞれがそれぞれのアクセントをもっています。みんな頑張っているんですよ。ありがとう、僕らを受け入れてくれて。僕たちの国もきっとみなさんを歓迎しますよ!
知らず知らず、遠くまで来てしまった。どんなに高くまで歩いてきても、僕の故郷は見えない。よし、決めた!もう二度と振り返らない。まっすぐ、まっすぐ……
霧が晴れてきた、目の前には長い長い道が続いていた。
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